口紅を中指ですくって下唇にのせる。その柔らかさを確かめるようにそっと指を滑らす。私が指を離すと、彼女は一度きゅっと口を閉じ、色をなじませた。
「今夜もずっと起きているのですか?」
私が聞くと、彼女は笑った。紅玉で彩られた唇から真珠の歯が覗く。
「当たり前よ。何のために着飾っていると思っているの?」
桔梗色に染めた瞼で小さな星が瞬く。長く伸ばした睫毛が、ほんのりと桜色の頬が、結い上げた髪に挿した銀の櫛が、金糸を織り込んだ青い衣装が、彼女を飾る全てが灯りを受けて輝く。
「もう下がってちょうだい。今夜こそ素敵な人が現れるわ」
毎晩繰り返す台詞を同じように今夜も言って、彼女は椅子に座る。朝までそうやってオスがやってくるのを待つのだ。私は一礼して部屋から出た。彼女はもはや私のことなど見もしない。
狭い階段を下りて外に出ると、もう日は沈んだ後だった。周囲の緑が闇色に変わっている。
私は扉に鍵をかけた。着飾って待っていたって誰も来るはずないのだ。
ふと見ると爪の間に先ほどの口紅が残っていた。自分の乾いた唇にこすりつけ舌先で舐めると、わずかに甘かった。
第79回タイトル競作【選評】○○×
豆本「ジャングルの夜」に加筆して収録。