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おとぎ話じゃないんだから

 海で自分を助けてくれた人魚に会いたくて、声を渡す代わりに海で暮らせるような体に変えてもらう人間の王子様の話。小さい頃によく聞かされたおとぎ話だ。
 もうこの年になってそんな夢みたいなこと信じているわけじゃないけれど、人間の暮らしにはとっても興味があった。だから、あたしはいつも暮らしている小さな島の沖合いから、もっと人間のたくさん住んでいる大きな島を目指してでかけた。
 もちろん家族には秘密だ。
 今日は学校に行っていることになっている。夜までに家に帰れば誰にも気付かれないと思った。
 振り返ると、海の中の街は薄ぼんやりと光りながら揺らめいていた。
 陸地に近づくにつれ水温が少しずつ上がる。大きな建物が波の向こうに現れたり消えたりするのがおもしろくて、あたしは水面に顔を出したまま泳いだ。
 港の側は船が通るから危ない。砂浜の側は浅瀬のせいで陸地に近づけない。あたしは海岸線にそってぐるりと回り、岩場に近づいた。
「うぉ!」
「え?」
 突然、近くで誰かの声がした。
 右側から水音。誰かいるのだ。
 あたしは一旦水に潜る。海の中から辺りを見渡すと、少し先の方に人間の体が見えた。足がある。
 あたしは慌てて、その足を追いかけ、手でつかんだ。
「ちょっと待って!」
 足をひっぱられた人間は、海の中に沈んであたしを見た。驚いた顔をしている。ごぼごぼと空気を吐き出した。あたしがつかんでいない足で、あたしを蹴ろうとする。
「あ、そっか。ごめんなさい」
 あたしは慌てて手を離す。人間は水の中では息ができないのだ。
 あたしが水から顔を出すと、その人間は苦しそうに咳き込んでいた。
「ごめんなさい! 大丈夫? えっと、あ、こっち」
 あたしはその腕をひっぱり沈まないように支えながら、見つけた小さな岩まで連れて行く。人間は岩にしがみつき何度か咳を繰り返した。
 人間はあたしたちとは違って、肌が茶色っぽかった。その短い髪も人魚にはない。言葉が通じるのか、あたしは少し不安になった。
「あの、あたしの言葉分かる?」
 恐る恐る聞くと、人間はうなずく。落ち着いたのか咳はおさまったみたいだった。
「ね、あなたって王子様?」
「あんた、もしかして人魚姫?」
 あたしと人間は同時にそう聞いた。
「え?」
「はぁ?」
 お互いにぽかんとした顔。
「あたし人魚だけど、姫じゃないわ」
「王子様なんて今時いねぇよ」
 そして、同時にこう言った。
「おとぎ話じゃないんだから」
「おとぎ話じゃねぇんだからよ」
 それから、あたしたちは同時に笑い出した。
「そうだよな。人魚姫は人間の足をひっぱって海にひきずりこんだりしねぇよな」
「そうよ。王子様は人魚を蹴ろうとなんてしないわよね」
 そう、あたしは王子様じゃなくて人間に会いに来たんだった。
 人間は岩に登り腰掛けた。かき上げた短い髪が太陽に透ける。雫がキラキラ反射している。
「あたしはローラって名前なの。ね、人間にも名前がある?」

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