母が最後になんて言ったのか私には聞き取れなかった。もうほとんど声になっていなかったのだ。しかし父にはわかったらしく、父は黙ったまま大きくうなずき返し、母の手をそっと握り締めた。私はふたりから目をそらし、医者の履いているスリッパを見つめていた。
母の葬儀を終えた翌日、残り物ばかりを並べた朝食の箸をとめ、父が祭壇の骨壷を振り返った。固まったそばをほぐすのをあきらめ、私は父に声をかける。
「お母さん、最後なんて言ったの?」
気になっていたけれど、今まで聞く機会がなかったのだ。父は骨壷を見つめたまま答えた。
「ひとりは寂しいって」
「そう」
両親は昔から仲がよく、母は小学生の私をひとり残して父の出張についていくなんてこともよくあった。最後まで……と、せつないようなあきれたようなほっとしたような不思議な気持ちになった。
「そうだ寂しいなって言ったら、母さん、父さんも一緒に連れて行ってくれるって言ったんだ」
「そう。……いつ?」
「さあ、いつだろうな。聞こうとしたら、母さんはもうひとりで行ってしまった後だったよ」
いつだろうなあ……。そう繰り返す父の湯のみに、私はお茶をついだ。
「早いといいね」
第53回タイトル競作【選評】○○○○○△△△△