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渋谷の塔とオムライス

「渋谷に塔が建ったんだって! 一晩で、突然!」
「へー、何のプロモーション?」
 私の興奮に反して、義理の息子の博己はスマホから顔もあげないまま聞いた。
「宣伝じゃないみたい。誰がどうやって何のために建てたか、全然わからないって」
 日曜の朝の情報番組はどこもその話題で持ちきりだった。直径は三メートル、高さは十メートルほど。白い金属らしき光沢のある円筒形の塔が、渋谷の駅前の商業ビルの屋上に立っている。向かいのビルから撮影した映像は、タバコを立てたように見えた。
 どういうわけか、私にはその塔が懐かしく思えた。実際にこの目で見てみたい。
「渋谷まで、見に行かない?」
 そう誘うと、やっとこちらを見た博己は、顔をしかめる。
「えー、何で? どうせ混んでるだけだろ」
「なんだか懐かしい気がするの」
「あれが?」
 博己は怪訝な顔でテレビを指差す。自分でも理由がわからないのだ。曖昧にうなずいて、私は続ける。
「ほら、博己と一緒に出かけることもこれからは年に一度あるかないかでしょ。せっかくだから、いいじゃない」
「うーん」
「渋谷のオムライスの有名なお店! あそこでお昼奢るから! ね?」
「オムライスなら、俺、美紀さんが作ったのが一番好きだけど」
 初めて引き合わされたときにはもう中学生だったせいか、博己は私のことを母とは呼ばない。親子になって五年、夫が死別して二人きりになってから三年。大学進学のために、春から息子はこの家を出て行く。私が落ち着かないのはそのせいだろうか。
 なだめすかして、最後には半ば泣き落とし、私は博己を連れ出すことに成功した。

 やっと免許が取れた。思い立ってから三年もかかってしまった。何度も試験に落ち、教習所の教官にも匙を投げられる寸前だった。そこまでして免許が必要かと問われると、首を振るしかない。ただ、どうしても二十一世紀のオムライスが食べてみたかったのだ。
 もちろん現代にもオムライスはある。しかし、二十一世紀のものとは天と地らしい。その中でも、渋谷にある専門店がおいしいと評判だった。無類のオムライス好きの僕としては、ぜひとも食べてみたい品だった。
 免許が交付された翌日、さっそく僕は出かけた。指定された駐車場にタイムマシンをとめ、二十一世紀の渋谷に降り立つ。目当ての店はすぐに見つかり、僕はオムライスを堪能した。幸せな気持ちで街を散策して戻ろうとしたけれど、人が集まっていて駐車したビルに近づけない。何かイベントでもあるのだろうかと辺りを見回すと、隣にいた男女の話が耳に入った。
「通行止めだって」
「もっと近くで見れないの?」
 前方を見る若者と、女性の方は歳の離れた姉か若い母親かといった年齢差だ。
「無理だろ、これじゃ。だから言ったのに」
「謎の塔、見たかったんだけれど」
「な、謎の塔?!」
 僕は思わず大声を上げてしまう。それは僕のタイムマシンのことではないのか?
 驚いて振り返った二人に、息せき切って尋ねる。
「すみませんっ! この先、何かあったんですか?」
「ええ、ビルの屋上に突然塔が現れたんですって」
 女性が答える。彼女は僕の顔を見ると、首を傾げ、何度か瞬きした。
「どんな塔なんですか?」
 そう聞きながら、僕も不思議に思った。彼女の顔に見覚えがある。もっと近くで見たくて距離を詰める。
「白い塔なんですけど、そんなことより……どこかでお会いしたことないですか?」
 こちらを見上げる彼女の手を取る。その感触も懐かしい気がする。引き寄せると、彼女はされるがままに僕の腕の中に収まった。
「あの……」
「……あなたは……」
 見つめ合う僕らの間に、無粋な笛の音が響いた。現れたのは時間旅行組合の取締官だった。
「花田さんですか? あなた、駐車したマシンに透過カバーをかけ忘れましたね?」
「あっ!」
「重大違反ですから、まずは強制送還です」
「え、今?」
「当然です」
 無情な取締官は、僕の腕を掴むと手元のコントローラーを操作する。まずい。すぐに三十世紀に連れ戻されてしまう。やっと彼女に会えたのに! はっとして、僕は彼女を――美紀を抱き締める。美紀も目を見開いて僕を見た。彼女も思い出したのだ。
「一緒に帰ろう。もう一度、二人で暮らそう!」
「ええ! 今度はうまくやれそうよ」
 僕らの様子には構わず、取締官は言った。
「言っておきますけど、戻ったら、花田さんは免許取り消しと罰金ですからね」

 人でごった返す渋谷に置いてけぼりになった俺は、スマホに見せかけた時空通信機を取り出すと、三十世紀の会社に電話をかけた。
「お疲れ様です。博己です。今、終わりました」
 裏通りに入ると擬態をといて、本来の姿に戻る。ずっと少年を演じていたため、自分の口調に違和感がある。
「花田さん、取締官に連行されちゃったんで、フォローお願いします。美紀さんの長期滞在申請はうちの社からなので、連絡行くと思いますが」
 花田夫妻の『離婚危機乗り越え別居プラン』の契約書を確認する。オプションには『相手のことを忘れて違う人生を生きたい』『できるだけ遠くで暮らしたい』『劇的な再出発がしたい』とチェックが入っている。
「いくらなんでも、三年って時間かかりすぎじゃないですか?」
「悪いな。花田さんがなかなか免許取れなくて」
 電話の向こうの上司は苦笑する。俺はため息を零す。
 花田氏に会ったあとの美紀さんは、俺のことなどすっかり忘れていた。何度確かめても、契約書の『場合によっては離婚もあり』オプションにはチェックが入っていない。
「お前にもボーナス出るから、それで勘弁してくれ。一週間有給出すから、そのままそっちを観光してきてもいいぞ。それじゃ、お疲れ」
 労う口調が軽い上司との電話を切ると、俺は、美紀さんと一緒に食べる予定だったオムライスの店に足を向ける。でも本当は、美紀さんの作ったオムライスが食べたい。一緒に暮らした三年間はとても楽しかった。
 天を仰ぐと、時間旅行組合の事故処理班がマシンの回収と記憶操作にやってくるのが見えた。
 花田氏なんて違反の罰金とプラン延長料金で破産してしまえばいいのに。

2016年作

2019年7月15日
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