OPEN MENU
CLOSE MENU

移住

 庭に出ると、近所の人だろうか、二人のおばあさんが門の向こうからこちらを伺っていた。私が軽く会釈したところ、二人は顔を見合わせ、遠慮がちに話しかける。
「越して来られるの?」
「いえ、まだ見学で」
「何の店?」
「え? 店?」
 戸惑う私をよそに、二人は庭に入ってくる。
「なんだ、店じゃないのかい?」
「去年はパン屋ができたんだよ」
 私は思わず「すみません」と謝ってしまう。
「お医者さん? 学校の先生?」
「いえ、全然違います」
「それじゃ、あんたさんは何ができるの?」
「え、特に何も……?」
「お一人かね? 子どもは?」
「いませんが……?」
 そう答えると、「大谷んとこのは?」「どうかねぇ」と二人は何か相談して、
「あんたさん、おいくつかね?」
「四十三ですが」
「そんなに?」
 驚いた様子で、「子どもは無理かね」「いや今どきはわからんだろ」と小声で話しているつもりかもしれないけれど、完全に聞こえている。
「結婚するつもりはありませんし、子どもも無理だと思います」
 さすがに少し頭にきてきっぱり言うと、二人は揃ってため息をついた。
「何のために越してくるんだかわからないわな」
「どういうことですか?」
「車の運転くらいできるだろ?」
「ええ、まあ。車ないと困りますから」
 年季の入ったペーパードライバーだけれど、移住するなら車を買おうと思っていた。
「それならいいわ」
「なあ」
 おばあさんたちは渋々納得といった様子で帰っていった。
 釈然としないまま見送っていると、私をここに案内してくれた担当者が家から出てきた。おばあさんたちが帰るのを見計らっていたのだろう。
「いやいや、すみませんねぇ」
「何なんですか? さっきの」
「ああ、えっと、ほら。マレビトって知りません?」
「知りません」
「そうですか。うーん、どうしますか? 他の物件も見学されますか?」
 担当者は愛想笑いを浮かべながら、車のドアを開ける。予定ではあと二軒回ることになっていた。しかしもうそんな気分ではない。
「いいえ。結構です。今回はご縁がなかったということで」
「それなら仕方ありません。残念ですが」
 全く残念そうに見えない顔で、彼は私をそのまま駅まで送ってくれた。
 帰宅してから、おばあさんが話していたパン屋を調べようとネットで検索してみたけれど、あの村の情報はひとつも出てこない。見学の申し込みをした移住情報サイトも消えていた。なんだか不安になって覚えているうちに記録に残しておこうと、私はこうして

(発見者注:以降は空白)

2018年8月27日
豆本掲載作
その他の印刷物・雑貨掲載作

長編・連載モノなどは「カクヨム」に掲載しています。

ページの先頭へ戻る