蒸かしたとうもろこしを一粒もいで、一歩先の地面に丁寧に置いてから、それを踏む。
そうやって歩いている人がいたのだと母は言った。
「何をしているんですかって聞いたら、真顔で、旅をしているって。そういうことじゃないのにね」
一目惚れした母が猛アタックして結婚したんだそうだ。まだ小さかった私と姉にこの話をして、母は少女のように笑った。
父はとうもろこしを踏みながら、ずっと旅をしている。私は一度しか会ったことがない。父がいつ帰って来てもいいように、家の前にはとうもろこし畑が広がっていた。
姉は成長すると、とうもろこしの上しか歩けなくなった。家の中には常にとうもろこしが蒔いてあり、べたべたになった床からは甘い匂いが立ち上っていた。父のための畑は姉のための畑になった。
十八になった姉は、とうもろこしをカバンに詰めて旅に出た。三年経って、まだ一度も帰って来ていない。
私はというと、いたって普通に暮らしている。母に聞いてみたことはないが、私の実父はとうもろこしの人ではないのかもしれない。私は、とうもろこしがなくてもどこにでも行けるけれど、どこにも行かない。母と一緒に、父と姉を待っている。
「怪の旅」投稿作
http://inkfish.txt-nifty.com/diary/2015/09/post-0372.html
結果
http://inkfish.txt-nifty.com/diary/2015/11/post-f5fb.html
小野塚力賞、タカスギシンタロ賞、イベント大賞 受賞