会えない言い訳をさらに重ねようとする彼を、もういいからと遮って携帯電話を切った。嫌になって電源も切った。ベッドの上に放り出す。
特別でない日だったら約束なんてすっぽかしても構わない。きっと彼はそう思ってる。彼の中で、あたしの存在はそんな程度になってしまったんだ。
出かけようと用意していたアクセサリーと腕時計を外す。化粧も落とす。久しぶりに浴槽にお湯をためてお風呂に入ろうと思った。気分転換に何かしていないと泣いてしまいそうだった。
そうだ。泣きそうになる程度には、あたしはまだ彼が好きなのだ。
好きなんだ。
今から電話してそう言いたい。何度も何度も繰り返し。
あたしは湯船につかったまま膝を抱える。顔がお湯につかる。
気持ちが溢れて胸が詰まって、吐きそうだ。
そう思ったら、ごぼっと嫌な音を立てて、あたしの中から何かが逆流してきた。こらえ切れなくてお湯の中に吐き出す。あたしは気持ち悪くなってお湯に沈む。
あたしから出てきたそれは、泡のようだった。一塊になって揺れていた。あたしはその泡に手を伸ばす。すると泡は、すいっとあたしの目の前をすり抜けて泳いでいった。魚みたい。あたしもそれを追いかける。
そこは浴槽のはずだったのに、いつのまにか深い。泡の魚は深く深く泳いでいく。追いかけるあたしも深く深く深く。やがて明るい場所に出た。
変に明るい夜の街。居酒屋の並ぶ通りを歩く彼の姿を、あたしは上空から見つける。泡の魚は彼の周りをぐるりと回っている。あたしも彼に近づこうとして、でもやめた。彼の隣りに知らない女がいたから。
戻ろう。見たくない。
そう思った瞬間、あたしはお湯から顔を上げた。ごほごほと咳き込む。
呼吸を整えてから浴槽を見回したけれど、あの泡の魚は見当たらない。
あたしの恋心は出て行ってしまったきり、帰ってこなかったみたいだった。