寝坊し、いつもより三十分遅い電車に駆け込んだ。乗り込んだ僕の背後ですぐさまドアが閉まる。
意外と空いているなと思いながら、座席かつり革に移動しようとしたときだ。誰かが僕の右手をつかんだ。驚いて振り返ると、OL風の女性がにっこり微笑んでいる。
何事かと僕は焦った。こんな風に見ず知らずの、しかもちょっと美人の女性に手を握られるなんてこと、未だかつてない。
「あ、あ。あの」
口をぱくぱくさせる僕に、その人は、
「ほら、あなたも早く」
「え?」
聞き返す前に、今度は左手に持っていたカバンを誰かがひったくった。振り返ると、作業着姿のおじさんだ。女性で動揺させて荷物を盗む作戦だったのか。
「何するんですか!」
僕が怒鳴ると、おじさんは僕のカバンを網棚に放り投げた。
「カバンは網棚に、な」
笑顔でそう言って、それから僕の左手を握る。僕はおじさんの手を振り解こうとしたけれど、力が強くて外れない。
ひったくりじゃないのか。何がなんだかわけが分からない。
よく見るとおじさんの向こうにはおばあさんが、さらにその向こうには学生服の少年が並んでいて、皆手をつないで立っている。少年の先にも人が続いている。
逆を見ると、右手の女性の向こうにも人が並んでいた。正面に立つ人も手をつないでいる。
どうやら、電車に乗っている人が、皆で手をつないで輪になっているようだった。
いつの間にか電車は走り出している。
「何ですか、これ」
僕は右手の女性に聞いた。
「あら、知らないの?」
彼女は驚いたように目を丸くする。
そこで車内アナウンスが流れた。
『次はホルカ、ホルカです』
「ホルカ?」
僕が繰り返すと、彼女はにっこり笑う。
「そう、ホルカ。楽しいわよ」
『さあ、踊りましょう』
車内アナウンスがそう告げると、音楽が流れ出した。聞いたこともない曲だった。
彼女が僕の手をひく。輪が右に回りだす。
「ほら、あなたも」
僕も右に歩く。彼女の手は柔らかく、指は細い。僕は彼女を追いかけるように右に歩く。走る。回る。踊る。
彼女がこちらを振り返り笑う。
僕は彼女の手を引いて、そっと耳元でささやいた。
「楽しいね」